我が國體〜その三〜

武烈天皇の御事積として日本書紀にあるものには、朝鮮未多王の事積が混入しているというのが、早く学者の定説となっている。仁徳天皇が民家の炊煙を御覧になっての御聖徳も、醍醐天皇が寒夜に御衣を脱がせられた御事も、皆各時代の天皇の御仁慈の御心が仁徳天皇や醍醐天皇の御聖徳の上に現れているのであって、仁徳天皇・醍醐天皇のみが、聖徳の天皇であられたというのではない。御奈良天皇が、その日の供御にも御困りになっていられるほど皇室の衰微した時代にも、なほ衰筆を染めて般若心経を書写し給ひ、
國民の病苦を救ほうとせられたことは、この皇国の式微から二たび盛んな皇運の光がさして来た所以である。随って我々日本國民は、皇室のために身命を捧げて御奉公をするという考えの上に立って、始めて萬世一系の皇運を扶翼し奉ることが出来るのである。

神皇正統記にも、「窮あるべからざるは我が國を傳ふる寶祚なり。仰ぎみて尊み奉るべきは日嗣をうけ給う皇になんおはします。」と、いって居り、また「凡そ王土にうまれて忠をいたし生を捨つるは、人臣の道なり。必ずこれを身の高名と思うべきにあらず。されど後の人を励まし、その跡を?びて賞せられるは、君の御政なり。下としてきほひ争い申すべきにはあらぬにや。」と述べてあるのは、親房がいかによく日本國民の精神の中核に触れていたかを観るに足るもので、我等國民が服従すべきモットーであらねばならぬ。我々は、皇室の御繁栄が同時に日本國の榮昌であり、また日本國の幸福が皇室の繁栄と一致するのでなければ、肇國の大精神矛盾するものと考えねばならぬ。

そこにはじめて天照大御神の神勅の意味が強く現れて、日本の國運と民福とが進んで来るのである。我々は外来の文化に対して、皇室及び國體を中心として、精神的にも物質的にも向上を図るべきである。もし皇室及び國體を忘れて、ただ外来の文化に心酔し、國民的自覚を失うことがあったら、それと同時に日本民族の滅亡が到来する。我々日本國民は永劫にこの大信条の下に進まねばならぬ。


現在國語讀本新制度用巻五 我が國體 黒坂勝美
大正十二年十一月三十日發行

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